2009年5月27日 (水)

宮崎アニメ


コネタマ参加中: 宮崎アニメ、好きなのはどれ?

久しぶりにお題を頂戴してみました。

宮崎駿監督のアニメの中で大好きなのは「天空の城ラピュタ」ダントツでこれ。

カラオケに行ったら必ずエンディングテーマを歌うくらい好き。ビデオも標準で持ってます。まだDVDの時代じゃなかったからね。

あの風の描き方が最高に宮崎アニメの真骨頂というか、とにかくもうあの風や雲や空が好き。ラピュタという文明の悲しさや切なさの描き方もなんともいえない。

シータが捕らえられて猛火の中、あのロポットが助けてくれたシーンは何度見ても泣けます。それを助けに行ったパズーのかっこよさったらなかった。一人の男の子が短い時間でどんどん成長して行く所も好き。

ひとつひとつ言って行ったらキリがないくらい大好き。

ちょっと勇気をもらいたい時、スカッとしたい時に見るのがいいかな。

鬱で落ち込んでいる時にコレを見ればいいのに。・・・あ、でも余計落ち込んじゃう事もあるかも。あんなにちっちゃいこたちがあんなに頑張ってるのにって。

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2007年7月22日 (日)

ライフ

楽しみにしている夏の連ドラのひとつです。
漫画が原作のいじめを問題にしたドラマ。いままでいじめを問題にしたドラマは色々あったけど、これはひと味違うんじゃないかなと思って見ています。
原作を読んだことはないんだけれど、今までのドラマだけの印象だと、例えるなら、一人の女の子の勝負のドラマかな、と。

今も昔もいじめで苦しんでいる子は沢山いると思うけれど、このライフの主人公の歩はクラスに羽鳥さんという理解者がいるだけ幸せだと思う。
誰でも羽鳥さんのように強くはないけれど、きっと誰でも強くありたいと思っているはず。

彼女のお陰で、ようやく「負けない」というはっきりした意思表示がわき上がってきていた姿は、嬉しかったです。一方的な誤解と集団心理が起した暴力には一視聴者としては負けないで欲しいと思う。
あの落とされた机を抱えて教室に戻って来た歩を見た時のマナの驚いた顔。見ていてスカッとした。

今後、歩がどれだけ頑張って闘っていくのか、それと傍観者でいるクラスの子たちがどう変わっていくかも期待してみていたいと思います。




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2007年6月16日 (土)

ラピュタ

テレビで「天空の白ラピュタ」をやっていたので、またまた見てました。
もう何十回と見ているんですが、何度見ても飽きません。
宮崎監督の作品では一番好きです。

少年パズーと少女シータのあの力強さが大好きです。
捕われの少女を助けに男の子が立ち上がって向って行って、お父さんの夢を確かめに行く冒険物語というポピュラーなお話なんですが、要所要所にある人の傲慢さだったり自然の切なさだったり儚さだったりがグサグサ胸に突き刺さって、何度見ても毎回同じ所で涙が出ます。

人の真っ直ぐな純粋さをパズーとシータが、人の傲慢さから出た儚さや切なさをあのロボットたちが伝えてくれていると思ってます。

それにあの宮崎監督ならではの空と雲の中を突き抜ける疾走感がたまりません。
宮崎監督作品では「空」「雲」「スピード」はつきものですが、ラピュタの中のあのスピードが一番私にはしっくりくるのかもしれません。
あのガタガタいう飛行船もたまりませんね。人の手作りという感じが温かくて好きです。

そしてあの歌がとても好き。
物語がハッピーエンドですっきりした気持ちの所にエンドロールで流れてくるあの歌は思わず口ずさんでしまいます。
今夜はいい夢見ながらぐっすり眠れそうです。

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2007年6月 8日 (金)

わたしたちの教科書

春からの連続ドラマはどれもピンと来るものがなかったのか、続けてみているものはひとつもないのですが、飛び飛びでも少しだけ気になって見ていたのが「わたしたちの教科書」です。

今更、そしてきっと永遠になくならないであろう人間の社会生活上で必ずぶつかる「いじめ」の問題。
大きく世界と歴史を見まわしてみて、人が「優越感」と「自己顕示欲」というものをまったく感じなくならない限り人同士は「いじめ」を続けると私は思っています。大人がそうなのですから、子供が学校で「いじめ」をやめないのも当然といえば当然なんだとも思います。
集団で一人をよってたかってという構図は大人でも子供でも見ていて決して気持ちのいいものの筈ではないのに、「自分がされたらどう思うか。」という基本的な感情を顧みることも出来ないのは別の感情が先走ってしまっているからなんでしょうね。

こんな堂々巡りの問題を真っ正面から向き合ってドラマにするには些か難し過ぎるのではないかと思い、こちらとしても曖昧な終焉をみせられるくらいなら、とあまりちゃんと見ていなかったのですが・・・・。

私たち大人は、いつから「黒いものは黒い。」と正直に言えなくなってしまったんでしょう。
上手く生きて行く為に、いつから見えていたものを見えなかったことにしてしまうようになったんでしょう。
それが大人になるという事ならば、そんな大人にはなりたくないと、そう思っていた自分はどこにいってしまったんでしょう。

この「いつから黒いものが黒いといえなくなってしまったんでしょう。」という中年の教師の言葉にとても悲しいものを感じました。

正義感とか理想だけでは世の中渡って行けない事は嫌という程解ってはいるけれど、諦め切ってしまっても、またある意味で生きて行けないのかもしれません。

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2007年4月 6日 (金)

1リットルの涙

「どうして病気は私を選んだの?」
この言葉に涙が止まりませんでした。

連続ドラマとして放映されていた「1リットルの涙」の特別ドラマを見ました。連続ドラマで放映されていた時も毎週欠かさず見て、主人公の少女の過酷な病との闘いと生きる勇気を見せつけられ、自分を恥ずかしく思い、また自分も励まされていました。

骨髄小脳変成症という、意識はしっかりあるのに身体の運動能力が消えていくという不治の病。高校生になったばかりの、これからなんでも沢山沢山楽しいこと嬉しいこと好きな事が出来るキラキラした未来を描く年頃の女の子にとって、どれだけ辛くて苦しくて大変な病との闘いだったかと思うと胸を締め付けられずにはいられません。
そしてそれでもしっかり前を向こう向こうとしながら頑張って生きていく姿は、「自分はどうだろう。」という問いかけと共に振り返り、生きなければと改めて感じました。

心のバランスを崩して何度も死にたい、消えてしまいたいと思いました。
心療内科に通っている時も、今でもたまに思ってしまう事があります。
この主人公の少女を見ていると、そう思ってしまった事がとても恥ずかしくなってしまうのです。使い古されている言葉ですが、あんなに生きたいと頑張っている子がいるのに、生きられるのに死にたいと思ってしまうなんて・・・・、と。そう思わずにはいられませんでした。

生きる事は凄い事だと思うのです。生きられる事も凄い事だと思うのです。
色んな人や物や世界との関わり。誰にでも必ず有るはずだと思うのです。何とも誰とも関わりや繋がりの無い人は存在していないと思うのです。

ひとつのもの凄い確率から私たちは生を受け、この世に生まれ、色んな人と関わって今も生きているんです。ひとりひとり、誰でもそうだと思います。でも、ひとりひとり決して同じ人はいないんですよね。これって凄い事だと思いませんか。

あの主人公の少女は病と闘いながら簡単に諦めない生きていく勇気を、彼女の文を読んだ人、ドラマを見た人に励ましと共に記憶として与えてくれました。
「どうして私だけが。」と、多分、誰でも思う事で、そして誰でもそれを探しながら生きていくんだと思います。

「みっともなくてもいいじゃないか。」というような彼女の残した一文がありました。それが必死なら、それはとても、とても生々しく生きているという事に繋がるんではないでしょうか。

また、再放送でもいいから、何度でも放映して元気を無くした人に生きる勇気と意味を問いかけて励まして欲しいです。

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2007年3月21日 (水)

理想と現実

先週くらいから、冬のドラマの最終回ラッシュですね。
割とドラマは好きなのでいつも数本欠かさずみています。
そんな中、ずっと見ていた「今週、妻が浮気します。」が来週の最終回に向けて、とうとう今日の放送で主人公が離婚してしまいました。

妻の浮気を知って、許す事が出来なくて、それでも妻を思って書かれた主人公の手紙を引っ越しの車の中で妻が読むシーンで、「車で手紙なんか読んだら確実に酔うんだけど・・・。」と少々方向違いに思いながら見ていたんですが・・・。

あんな風に、互いを思いやって離婚できる夫婦はどれくらいいるんでしょうか。
昨年の今頃、妹が離婚をして子供連れて家に舞い戻ってきたばかりでした。
離婚するかもしれない、と聞いてから実際に離婚が成立して我が家で落ち着いて暮らせるようになるまでは、本当に我が家は酷いものでした。

実際にテレビや新聞で自分の子供に対して「どうして自分の子供なのに思いやれる事さえできないんだろう?」と目を背けたくなる事件は連日のように報道されています。それまでは嘘のような他人事のように見聞きしていたのですが、「そうなるのではないか」と心配せずにはいられない人間がこんなに身近にいたのかと元義弟を見て思いました。
親とは子供に対して、自分よりもまず子供、だと思っていました。それが当たり前だと。しかしそうではない人間は間違いなくいたのです。

結婚式に永遠の愛とやらを誓っても、一生大事にすると頭を下げに来ても、産まれた時はあんなに可愛がっていても、時間が経つと変わるんですね。
「そういう人間はいる。」とは知っていても、まさか自分の妹を「幸せにする。」と約束していった人間が「そういう人間」だったとは頭では理解したくても心が納得してくれなくて、気丈に離婚に向けて淡々と手続きを進めて行く妹と、なんとなく察しているようでいないような不安定な子供たちを見ていて何度もパニック発作さを起していました。
こちらの環境の変化にも着いて行けずにかなり不安定になっていたんですね。

離婚は結婚の何倍も大変とはよくいわれていますが、ドラマは色々とはしょれていいなぁと思いました。子供を連れていれば大変さは更に倍増します。学校や幼稚園の事、保険や年金、住所変更に母子家庭について等、様々な手続きが必要です。そして慰謝料や養育費。
養育費についてのいきさつは今思い出しても張り倒しに行きたいくらいに腹立たしい思いをしました。

甥っ子や姪っ子と暮らして1年。ぶちまけて言ってしまえば、お金だけ出して誕生日やクリスマスに会ってプレゼントだけ渡していい顔できるなんて、なんていい身分なんだろうと思います。子供はやはり日々の生活の中で成長していきますから、一緒に暮らしていく身としては、良い顔ばかりは出来ません。大変です。基本的に子供が苦手な私としては、よく付き合っているなぁと我ながら思います。こっちも慰謝料貰いたいくらいですよ。
ただ、いつかもっともっと子供たちが大きくなったら、それはそれで一緒に暮らせた思い出や成長ぶりを振り返って、それは何か心の財産のように懐かしむ事が出来るんだろうなぁと思います。
それが出来ない別れた名前ばかりの父親は哀れといえば哀れかもしれません。

一年に何度か元義弟には子供の送り迎えで少しばかり顔も会わせ、会話もしましたが、まだまだ私の中では「このやろう」のままです。
まだ一年です。もう一年なのかもしれませんが。去年の私から比べれば、大分私も図太くなってきました。
「現実ってこんなもの。」と何時何処で開き直ったのかはちょっと思い出せませんけどね。

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